見る前に、跳べない。


んーこれなー。
おれすっごい好きやし、がつーんて来てんけど。
レビュー今見てたんやけど、そんな大層な話かあ?

大江健三郎は小説を書き、性と暴力とそれらを隠そうとする社会との関係の破壊を企む。この短編集におさめられた作品には、その破壊によって挫折したり、正気を失ったりする人間の煩悶が内包されている。

分からんでもないけどなあ。
よく「何でもやってみいや。やらんかったらわからんやろ!」って言う人おるやん。
でも大概の人って跳ばれへんやん。ベンチャービジネスとかやってる人ですらそうやん。なんとかファンドとかやったり、計算して銀行に金借りたりしてるやんか。ほんでサービス動き出したら売ったりしてるやん。よう知らんけど。
「おれもそうや。お前は?お前はどうや?なんか小賢しいふりしとるけど、跳ばれへんやろ?実際?」
っていう話ちゃうの?
それが若者だけじゃなくて人間みんなそうやからこそこれだけ読まれて、これだけ射程の広い作品になったんちゃうの?
おれもあんまり文学史上のどうこうとかはようわからんけど(文学部やのにな!)、お前はどやねん、っていうとこに説得力あったっていう話やと思うねんけどなあ。


えーと、何故今回唐突に関西弁なのかというと、大阪豆ゴハンを読んだからなのです。影響されやすいなーほんまかなんでー。
いや、まあ普段も喋る分にはばりばりの関西弁なんですが。