「輪るピングドラム」一話における死のイメージ

輪るピングドラム」一話には、ほとんど言語道断なほど死のイメージに溢れている。その不穏なイメージを言語化できればいいと思い、この文章を書きました。


家族三人での食事シーン。「舐めるラー油を入れろっていっただろ。あれはおれのアイデアだ」というセリフがオフで流れる。そのセリフでのこの顔。何かを示唆していると思われるが、この時点では明らかにならない。


「今日一日ひまりの好きなことを何でもやっていいって。だから今日はひまりデー」というシーン。明らかに意識的に写りこんだ鳥かご。
閉ざされた運命、そしてそこから出ることは叶わないという隠喩だろうか。


家の前を通る小学生が「りんごは宇宙そのものなんだよ。手のひらに乗る宇宙。この世界とあっちの世界をつなぐものだよ」と話している。
そのセリフだけならなんてことはないんですが、「あっちの世界?」と聞かれた男の子が「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ」と応える。
この稿の趣旨ではないのでこれ以上の言及は避けますが、言うまでもなくカンパネルラは彼岸の世界へ…まあぶっちゃけて言うと、死んでしまいます。「りんご」ということばはさらに二話以降でもでてきますね。
さらに言うと、「カンパネルラや…」というセリフのところでカットがかわって、家の冷蔵庫にはられているメモが映しだされます。そこで映されているものがレシピ、家事当番、パンか何かのプレゼントという、生活感のあるものというのも、逆説的に暗い影を際立たせていますね。(おまけにプレゼントはランチボックスかおでかけトートか、という、両者ともに「そとに出かけるためのもの」である!)


その後も、いわゆるフラグというレベルではそういった描写はあるのですが、露骨な隠喩があって恐ろしいというのはそのくらいっぽいのでこのへんにしておきますね。
タイミングが遅れちゃいましたが、ほんとうに面白いですねピングドラム