AV

なんでも相対化できる現代っ子としては、
おれは無理にでも相対化しなければならないのではないかと思う。
例えば森下くるみがイく時、もちろん僕はそれが演技か素か知らないが、
例えば笠木忍が、例えば長瀬愛がイく時に、
少なくともおれは、個人的にではあるけれども、
AVだからというだけではなく、精神的なつながりをも感じていた。


さらに、藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - AV女優・森下くるみ『すべては「裸になる」から始まって』を読んだ人は、
セクシャリティと思想について、もっと深く考えないと生きていないはずだ。
これを読んで無反応に生きていける人はそれはそれでよろしい。
今後何十年かの人生、勝手におもしろおかしく生きていけばいいさ。おれはしらねえ。


おれは、例えAV女優だとしても、もっと言えば体を売って生活していたとしても、
誇りを持って書かれた文章には敬意を払いたいと思う。